安土桃山時代ような短命な色濃さ

歴史の話とは言っても最初だけなんだけど。

安土桃山時代とは、、、*1

 

織田信長の居城であった安土城滋賀県近江八幡市安土町)と豊臣秀吉の居城伏見城のあった京都市伏見区桃山地域から、このように歴史学者から呼ばれる。特に、豊臣家が全国支配を担った後半を桃山時代といい、この時代を中心に栄えた文化を桃山文化と呼ぶ。ただし、桃山の名称は江戸時代になって廃城された伏見城の跡地に桃の木が植えられ、安永9年『伏見鑑』が発行された頃から「桃山」と呼ばれるようになったことから名付けられたもので[1]、桃山城と呼ばれる城が存在したわけではない。そのため、歴史的経緯を尊重するなら「伏見時代」の方が適切な呼称となるが、そもそも安土城は完成からわずか3年余りしか存在しておらず、伏見城(指月城と木幡山城)についても文禄元年(1592年)の築城から秀吉の死までわずか7年であったなど、それぞれ在城は短期間であり、これらを時代の呼称に用いること自体が適切ではないという主張もある

 

わずか約10年の「時代」の話。

その瞬間、文化や人々の思考に急激な変化や向上が見られたんだろなと。

現代だって、古くはアムラーやコギャルだの、ゆとり世代だのって分けたがる。

女性ならば「セーラームーン」「魔法少女どれみ」「プリキュア」等、世代分けも可能なのだろうか?

誰にでもある短命なくくり。

Penの生きてきた人生の中にも短く、他人によっては「時代」にも昇華されない、認識すら危うい時間の隙間が存在する。

その時間の隙間は、存在しなければならなかった分岐点のようなものであったり

する。

やはりアイドルブログの端くれ。

アイドルの短命な色濃い時代を紹介したい。

 

その時代とは、私の応援熱量が最高値に達した愛乙女★DOLLの中にあった。

そう、知る人ぞ知る

 

 

らぶどる

スフィア時代

 

である。

らぶどるスフィア時代とは、らぶどるにオリジナル曲がまだ無くてカバー曲で対バンに出演していた時代のこと。らぶどる初期における持ち曲不足を補うため、メンバーの岩崎夢生が発案し、声優ユニットのスフィアの楽曲をカバーした。当時のらぶどるはハロプロの小.中学生ユニットBerryz工房や°C-uteの派手目な楽曲とAKB48の「君のことが好きだから」など4〜5曲だった記憶。そこに追加された2曲がまさにそれだった。

 

君の空が晴れるまで

sp.nicovideo.jp

Youtubeに無かった(泣)

 

サヨナラseeyou

www.nicovideo.jp

 

グループは知っていたけど曲の知識は無くて、初めて聴いた時には超対応してた記憶。当時、アイドル対バンで聴かない新しい風。会場全体を染め上げる空気感を身体が感じていた。実際に感じたのはPenだけだったのかもしれないが。ステージを観て、声援を送る。汗をかく。楽しむ。推しが、ヲタクが、全ての人間が楽しむ空間を作り出すことができた。ベースにあるLIVE感を生み出せた経験は大きかったとヲタク側から見ても思う。楽曲のパワー、スフィアの清潔感、声優ユニットという他文化交流。全てが新しい息吹だったと思う。当時の全てが濃ゆい。

 

らぶどるの初オリジナル曲「GO!! MY WISH!!」が生まれオリジナルが増えていくにつれ、披露しなくなったスフィア曲。わずか数ヶ月。これを時代として、あえて当てはめたい。この数ヶ月が無ければ、愛迫みゆさんの人生も変わっていたはず。つまりは「虹色の飛行少女」の世界線は存在しなかった可能性までを書き留めておきたい。

 

らぶどるスフィア時代

 

良き時代でした。

テストに出るかもよ。

 

予定の内容を変更して更新しました。

 

林あやのちゃん大好きです!

*1:Wikipediaより